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2008年4月22日 (火)

信じて祈り求める

信じて祈り求める(2008.04.20)

 「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 (マタイ21章22節

 JRの乗車券は、発券機から誰でも買えます。機械は人見知りは決してしません。ただ、手順と方法があるだけです。それに従いさえすれば、機械との付き合いは誰にでも出来ることです。祈りは実は神さまとのお付き合いのことです。

 神様は生き物を、「求めて生きる」ように造られました。食物を、空気を、水を、光を、音を、寝床を、親を、家族をと。それらは求める時に与えられます。でなければ生き物は生きていけません。本当に必要なものは神さまに向かって大胆に求める。これが御心です。

 ところが人間は堕落しているために、求めてはいけないものを求め、自分をだめにしています。天の父はこれを嘆いています。もっと自分を生かすことを求めてほしい。植物が流れのほとりで生きるように、神の御許に帰ってほしい。もしこれを求めるなら、父は喜んでこれを与え、あなたは生かされるのです。

【今日の祈り】
 父なる神さま。あなたは私の肉体を生かすように、魂を生かすことも備えてくださいました。求めさえすればよいのです。どうか私が私にとって何が必要であるかを知り、それを切実に求める者にしてください。イエス様の御名によって、アーメン。

今週の【web礼拝】upしました。ぜひ、ご覧ください。

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2008年4月 1日 (火)

ぶどうの木と枝

【ぶどうの木と枝】(3月30日

 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15章5節

 ぶどうの木は、土壌から養分を吸って枝に樹液を送ります。これが枝に葉をつけ実をならせるいのちの働きです。これは丁度、イエス様につける私たちのいのちの源をたとえています。幹から切り取られた枝は枯れるように、イエス様から離れては信仰のいのちは窒息します。

 しかしイエスさまとしっかりと繋がっていれば信仰のいのちは流れます。そして、時が来ると実がなり葉も萎みません。やがて豊かな豊かな実を成らせます。

 今日も、イエス様の御許に留まりましょう。そのいのちを受けましょう。難しいことはありません。いのちの水は流れてきます。ただ、それを邪魔する「世につける思い」をイエス様に委ねることです。そして心の中にイエス様のいのちの流れを良くすれば、信仰はきょうも元気です。

【今日の祈り】
 父なる神さま。イエスさま。あなたは私のいのちの源です。川の流れのように、あなたのいのちが私の心を流れてください。そして思いの隅々に「御心」と言う養分を送り込んでください。私の今日一日を通してあなたの栄光をあらわすことができますように。御名によって、アーメン。

さて、今週も【web礼拝】をアップしました。ご覧ください。

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