2013年12月30日 (月)

年の瀬を迎えました

 2013年の瀬を迎えました。この一年健康も守られたことを感謝です。新しい年を迎えたら、もう少し一生懸命書こうと思います。29日(日)礼拝をupしました。【web礼拝】webで、教会の礼拝に参加できます。毎週月曜か火曜にupしていますので、是非、ご覧下さい。老牧師は頑張っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 2日 (月)

久しぶり

久しぶりです。またお付き合いください。毎週web礼拝をアップしています。見ていただきたいと思います。【アモスのページ】から【今週の礼拝】をご覧下さい。9月1日の礼拝には、交換講壇で、松戸の北田牧師が来てくださいました。素晴らしいメッセージで、たいへん恵まれました。また、書きに来ます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 6日 (日)

今日は宇都宮

山田先生のご厚意で今日は宇都宮教会で礼拝の御用をしました。うれしくて、うれしくて天にも昇りそうです。

【H.P.】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月11日 (水)

エコとエゴ

洞爺湖サミットを前にしています。ここでもトップテーマは環境でしょう。マスコミでもこれが取り上げられています。しかし、問題の焦点は、環境が破壊されることでしょうか。それ以上の問題は人間が環境を破壊してしまうことです。今、環境バランスは、下降線上にあります。手を打たなければならないことは自明です。もうひとつ今なら人類が一致結束して手を打てば、修正の可能性はあることです。そのためには人類の英知、人類の工夫だけでは足りません。一番必要なのは【自粛】です。地球上には今日の食に困っている人もいる一方で、有り余る富を得て、贅沢三昧に暮らしている人が、もっともっとと言って環境を破壊していることです。

 食の問題は、世界食料生産量を人口で割ると、食料は有り余っています。しかし現に食べられない人たちがいます。自然(神様)は人類の必要に答えてくれています。エゴが優先されて、再分配されていないことです。

 自然環境という物質世界に精神の空腹を要求していること自体が、環境破壊の元凶です。裕福な人ほど、精神が貧しくなっており、その満たしを物質に求めていることが問題です。問題の所在は【エコとエゴ】の問題であることが明らかです。これが解決されない限り、エゴがエコを破壊します。

 これは決して人事ではありません。人間はエゴのかたまりを、私はエゴのかたまりと受け取り、自分の心に問い、心の中の祈りの心に問うことです。一人でも多くの人が、「神様」と呼び求めるようになれば、この問題の改善も可能かもしれません。

どなたかが、私の【H.P.】をおとずれてくださったたら、うれしいです。

| | コメント (34) | トラックバック (0)

2008年5月23日 (金)

角の三等分

 年が年なので、いつまでも現役は無理だろう。そのときはぜひ最後の完成として放送大学で勉強したい。これが私のかねがねの願いでした。そのための予習として長岡教授の「線型代数」をビデオにとって見ていたとき、「角の三等分」という問題が出てきました。これは不可能といわれていますが、素人の私には定規とコンパスでできるので、自分に「入学試験」を課してこれを試みることにしました。

 最初はできたと思ったら、ねずみがちょろちょろ這い回り、退治したら、今度はゴキブリが這い回り、それはある角にあったので退治したら、今度は蚤がぴょうんぴょん。頭の中は約三週間これに振り回されたことになりました。

 そして、もうこれ以上は無理というところまできました。というのは私にはどこに何が潜んでいるかが分からなくなったからです。私のH.P.の【角の三等分】のところに作図をリンクしましたので、興味のある方は見てください。その上で、バグを見つけた方は、ぜひ、お知らせください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

信じて祈り求める

信じて祈り求める(2008.04.20)

 「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」 (マタイ21章22節

 JRの乗車券は、発券機から誰でも買えます。機械は人見知りは決してしません。ただ、手順と方法があるだけです。それに従いさえすれば、機械との付き合いは誰にでも出来ることです。祈りは実は神さまとのお付き合いのことです。

 神様は生き物を、「求めて生きる」ように造られました。食物を、空気を、水を、光を、音を、寝床を、親を、家族をと。それらは求める時に与えられます。でなければ生き物は生きていけません。本当に必要なものは神さまに向かって大胆に求める。これが御心です。

 ところが人間は堕落しているために、求めてはいけないものを求め、自分をだめにしています。天の父はこれを嘆いています。もっと自分を生かすことを求めてほしい。植物が流れのほとりで生きるように、神の御許に帰ってほしい。もしこれを求めるなら、父は喜んでこれを与え、あなたは生かされるのです。

【今日の祈り】
 父なる神さま。あなたは私の肉体を生かすように、魂を生かすことも備えてくださいました。求めさえすればよいのです。どうか私が私にとって何が必要であるかを知り、それを切実に求める者にしてください。イエス様の御名によって、アーメン。

今週の【web礼拝】upしました。ぜひ、ご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

ぶどうの木と枝

【ぶどうの木と枝】(3月30日

 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15章5節

 ぶどうの木は、土壌から養分を吸って枝に樹液を送ります。これが枝に葉をつけ実をならせるいのちの働きです。これは丁度、イエス様につける私たちのいのちの源をたとえています。幹から切り取られた枝は枯れるように、イエス様から離れては信仰のいのちは窒息します。

 しかしイエスさまとしっかりと繋がっていれば信仰のいのちは流れます。そして、時が来ると実がなり葉も萎みません。やがて豊かな豊かな実を成らせます。

 今日も、イエス様の御許に留まりましょう。そのいのちを受けましょう。難しいことはありません。いのちの水は流れてきます。ただ、それを邪魔する「世につける思い」をイエス様に委ねることです。そして心の中にイエス様のいのちの流れを良くすれば、信仰はきょうも元気です。

【今日の祈り】
 父なる神さま。イエスさま。あなたは私のいのちの源です。川の流れのように、あなたのいのちが私の心を流れてください。そして思いの隅々に「御心」と言う養分を送り込んでください。私の今日一日を通してあなたの栄光をあらわすことができますように。御名によって、アーメン。

さて、今週も【web礼拝】をアップしました。ご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月24日 (月)

私の助け

老牧師は毎週「きょうのみことば」を配信しています。ココログにも掲載しますので、ご覧ください。

【きょうのみことば】(3月23日)

 「『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。『主は私の助け手です「ヘブル13章5,6節

 「ロープウェイに乗ったことがありますか。揺れますね。でも飛び出したりしません。それは危険です。どこまでもロープウェイを信じて乗り続けます。人生も同じです。足元が揺れるからと言って信仰を投げ出してはいけません。神さまの約束は確かです。あなたを捨てたりは決してしません。

 でも、神さまを信じられなければどうすることもできません。<「信じられないなら、電車でも自動車でも舟でも乗ることはできませんし、道ですら歩くことができません。まず信仰です。確信を持って神さまは「私の助け」ですと言うことです。

 信仰を確かめるいちばん良い方法は、はじめの愛に戻ることです「あなたの原点」はまだそこにありますか。罪を悔い改めた時、罪を赦してくださいましたね。心に平安を注いでくださいました。こんな方が外におられるでしょうか。信じましょう。この方以上に確かな方はおりません。「主は私の助け手です」。

【今日の祈り】
 父なる神さま。あなた以上に確かな方はいません。あなたを捨てないと仰ってくださったあなたの約束を、手放しません。どうか迷うことがないように、私をしっかりと捕まえてください。イエス様の御名によって、アーメン。

【web礼拝】(2008.3023)をupしました。これもご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月17日 (月)

ああ、ビアドロローサ

 昨日の日曜礼拝はパーム・サンデー(棕櫚の聖日)で、主イエスさまがロバの子に乗ってエルサレムに入場されたことを記念しました。説教題は「ああ、ビアドロローサ」。これは今朝、【web礼拝】にアップしましたので、ご覧ください。

 私は昨年、聖地イスラエルの旅をすることができ、この道を歩きました。エルサレム北西にあるステパノ門から入って、すぐ「磔刑教会」「エッケホモ教会」があります。途中14の祈祷書があって、聖墳墓教会にたどり着きます。もう今はそのときの面影は残っていません。教会が場所を占めています。しかも、同じところにローマ教会、ギリシャ教会、アルメニア教会が同居同然にあります。まことに不思議な感があります。

 それでも、2000年前にイエス様が歩かれたその場所に来たという感慨は特別のものでした。そんなことを胸に抱きながら、棕櫚の聖日を記念しました。私は今年で71歳になります。神学院を卒業してから、50年近くなります。その当時は今に大教会にしようと意気込みました。しかし、人の心はそう簡単ではありません。自分の思い、夢、希望、こだわりで満ちています。神様に自分を明け渡すことなどとんでもないと考えています。神の愛がこんなに迫っているのに、はた迷惑としか考えません。

 ああ、こんな人間のために主は十字架にかかられたのです。「イエス様ありがとうございます。」私にこれ以上の何が言えるでしょう。私はただただイエス様についていけばよいのです。気がついたら、自分の生き方の間違いに気づき、罪を悔い改め、赦しを乞い、イエス様を信じて救いを受け取る方々が、教会に来ておられます。集まってきた兄弟姉妹にも心から感謝します。

 午後は、第三日曜日ですから【ゴスペルの集い】を行いました。人類の罪ゆえの苦き杯を飲み干された主イエスさまについて語りました。遠く神奈川県からも来て下さって、私の拙い説教を聞いてくださいました。感無量です。この年になって、こんな満ち満ちた一日を過ごせるなんて、こんな幸福どこにあるでしょうか。これもイエス様に従ってきたゆえでしょうか。

 体力的に、あまり何もできなくなって、それでも主のご奉仕につかせていただいていることに、感謝がいっぱいになりました。「主よ。ありがとうございます。もうあと残り少しですが、地上にいるかぎり、この奉仕にとどまります。」今朝はこのように献身のお祈りをしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月14日 (金)

オール・イン・ワン

 昨日、出勤途中に公園を横切ろうとしたとき、カーンと甲高い音が聞こえて来ました。老人グループがゲート・ボールをしているところでした。玉がきれいに公園の一角から転がって行くのが見えました。行方を見ると20センチ間口のゴールがあります。「入るぞ」と思っていると、見事、後ろの柱に当たってゴール内にとどまりました。「入った」「上手い」「いやーたまたま」などと話し声が聞こえてきました。私も「ホール・イン・ワンですね」と声をかけて通り過ぎました。歩いている間、その余韻で何ともいえない気持ちでした。

 これは偶然ではありません。ホール・イン・ワンの条件は正確な初期値です。角度、速度、地形、風向き、ゴールのつくりなど、いろいろな条件を設定して、非常に狭い範囲内にあります。それを決めるのは腕なのか、たまたまなのか、それは分かりませんが、とにかく決定の連続であって偶然ではありません。ではだれがその値を決定するのでしょうか。

 ホール・イン・ワンは、まだまだ軽い題目です。この広大は宇宙の保持、地球の生命環境の保持を考えと、微妙な非常に狭い、難しい微調整が行われていますが、これを偶然の所為とすると、ますます不思議になってきます。最初にして最後の決定者、全能にして偉大なお方が、この宇宙を支えておられると考えることが、人間の精神衛生にとってもっとも大切なことです。

 私は日々に祈りますが、確かに祈りは心に安らぎを与えます。それはこの私の思いに答えてくださる方がおられるからです。人生は全能の神によって見守られているとの信仰に立てることは、本当のありがたいことです。

 今週の浦和教会の【web礼拝】をご覧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧